安全保障の目的は「国民の命と平和な暮らしを守り抜く」こと。それは、イデオロギーや観念論では実現できません。外交・安全保障には何よりも現実的な視点が必要なのです。
70年前に戦争に負けたわが国では、今でも「敗戦のトラウマ」が国民の頭の中にこびりついています。軍事や安全保障の話をすると、「戦争好き」のレッテルを張られてなかなか議論が深まりません。「日本が手を出すとまた戦争になる。だから、おとなしくしていれば良いのだ」と。
しかし、現実を直視すれば日本は核兵器と大量のミサイルで武装した国々に囲まれています。中でも、中国は毎年日本の4倍もの軍事費を使い、尖閣諸島に圧迫を加え、南シナ海では周辺諸国や我が国のシーレーンを脅かしています。米国でさえ日本や台湾を支援しようとしても、中国の高性能ミサイルによって簡単に近づくことができなくなりつつあります。
そのような中で、我が国の平和と安全を守るために何をすべきでしょうか?
第一に、米軍が引き続きインド太平洋地域での影響力を維持できるよう、日本が率先して支えていく必要があります。例えば、宇宙監視やミサイル防衛、さらには電磁波や無人システムなど先端技術分野の研究開発で日米協力の強化を急がなければなりません。
第二は、仲間を増やすことです。かつては日米、米韓、米豪など米国を中心とする二国間同盟がそれぞれ「線」で結ばれているだけでしたが、これからは日米にオーストラリアやインドを加えた4か国が「面」で地域の平和と安全を守って行きます。その面は、自由と民主主義を共通項としてASEAN諸国や台湾、韓国、モンゴル、さらには南太平洋諸国へ拡大し、国際秩序を安定させることに役立つはずです。
そして、第三。これが最も大事なポイントですが、「自分の国は自分で守る」気概と能力を持つことです。尖閣諸島への中国の圧迫は深刻ですが、米国の大統領が代わるたびに尖閣諸島に安保条約5条が適用されるかどうかを尋ねるような依存体質から一日も早く卒業すべきです。まずは私たちが自分自身で自分の国を守ろうとしなければ、いざという時に駆けつけてくれる国があるでしょうか。逆の立場で考えれば簡単にわかることです。
たとえば、コロナ禍で米空母セオドア・ルーズヴェルトにクラスターが発生し、2か月間グアムに釘付けとなってしまった時、オーストラリアが真っ先にフリゲート艦を派遣して米軍の強襲揚陸艦を支援し、抑止力の低下を防ぎました。日本の自衛隊25万人に対し、オーストラリア軍はたったの5万人です。要は地域の安全保障に対するコミットメント、すなわち、我が国の「本気」が試されているのです。
明治の啓蒙家・福沢諭吉は、「一身独立して一国独立す」、また「独立の気力なくして国を思うこと深切ならず」と言いました。日本国の独立のために、私たち一人一人が独立の気概を持ち、国際社会をリードする国を目指そうではありませんか。