これまで、数の力で押し切る強引な政治が推し進められてきました。単純な多数決が民主主義ではありません。どんな考えの内閣であっても、どの政党が政権を担っても、権力行使について超えてはならない一線を決めたルールが憲法です。権力は憲法によって制約されるという立憲主義を回復させ、まっとうな政治を取り戻します。
「すべて権力をもつ者はそれを濫用しがちである。かれは極限までその権力を用いる。それは不断の経験の示すところだ」と、モンテスキューは『法の精神』で述べています。文書の隠ぺいや改ざん、さらには破棄など、これまでの政権の行いは、「極限まで」どころか、極限を越えた現代の焚書(ふんしょ)ともいえる振る舞いまで行いました。
権力者がつくった法律が国民を規律しているのに対し、憲法は国民が自らの権利を守るために、権力を縛るものです。どんな考えの内閣であっても、どの政党が政権を担っても、権力行使について超えてはならない一線を決めたルールが憲法です。立憲主義とは、憲法によって権力を縛り、暴走させないという原則。縛られる側の権力者が改憲の旗を振り、声高にあおるのは論外です。憲法の危機の根源は、権力行使への制約を振り払おうとする権力者のおごりにほかなりません。