学歴
1977年3月
東京都立 北園高等学校卒業
1985年3月
日本大学大学院生産工学研究科 博士前期課程 建築工学専攻修了
1986年2月
韓国延世大学校 言語研究教育院卒業
職歴
1985年4月
朝鮮日報日本支社 入社
政歴
2004年7月
参議院議員選挙比例区にて初当選
2010年7月
同2期目の当選
2016年7月
3期目の当選
平和憲法を守ります
今、私の手元に「あたらしい憲法のはなし」という小冊子(復刻版)があります。
この本は、あとがきによると「一九四七年(昭和二二年)八月二日文部省が発行した中学校一年用の社会科の教科書である。」と書かれており、おそらく社会科の副読本だったと思われます。
シンプルな内容で平易に書かれていますが、私は非常に共感しました。
みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本国民は、この憲法を守ってゆくことになりました。この新しい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。
(図1)
この書き出しの文調に「国民が作った憲法だ」という喜びに満ちた感情をお感じになりませんでしょうか?
当時の様子を伝える新聞記事を見ていると、皇居前の記念式典はもちろん、都内各所で様々な祝賀行事が行われています。
その様子を見る限り、人々がこの新憲法を歓迎していたことは間違いありません。
そもそも憲法とは何か
憲法とは、その国の一番大事な規則、「最高法規」です。
日本国憲法では主に二つのこと、一つは国の治め方(国会のことなど)、そして国民の権利(基本的人権)について書かれています。
特に基本的人権は、日本国憲法となって初めて実現した大切な権利です。それによって平等や自由、生存といった権利など、今となっては当たり前のことが、初めて明記されました。
そしてその大切な権利を奪う最大の脅威こそが「権力者」です。だから憲法は権力者を縛る内容・構成となっているのです。
前文で謳われた考え方
日本国憲法は「前文」から始まっています。前文にはこの憲法のどういう考え方に基づき作られているのかが紹介されています。それは次の三つの考え方(主義)によるものです。
・基本的人権の尊重
・国際平和主義
・主権在民主義
特に「国際平和主義」によって、日本国憲法は世界に誇るべき憲法であると私は考えています。
国際平和主義について、憲法前文では以下赤線部分で触れられています(図2)。
この内容をひと言でいえば、日本は世界の人々を信頼し、平和に暮らしていきましょうということです。他の国の人のことを考える、そんな憲法なんて、どこの国にもありません。
そしてこの国際平和主義の考え方の帰結が、第九条の「戦争の放棄」です。言わば第九条のお母さんは、この前文なのです。
さらにこの憲法に謳われた最大の特徴は「主権在民主義」です。
主権とは、「あたらしい憲法のはなし」の言葉を借りれば「国を治めてゆく力」です。主権在民とは、主権者である日本国民が民主主義という道具を使って、国を治めていくということです。
「そんなこと、当たり前じゃないか」と思われるかもしれません。
大日本帝国憲法(明治憲法)は違います。
第一条 大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す(※)
主権は天皇にありました。国民主権ではない
どころか、「国民」そのものが存在しません。「日本臣民」です。臣民とは「支配に服する者(新版 体系憲法辞典)」を指す言葉です。つまり家来のようなものです。
明治憲法の第二章は日本臣民の義務と権利について書かれています。例えば
第二十六条 日本臣民は法律に定めたる場合を除く外信書の秘密を侵さるることなし
法律で規定されれば、検閲などによって手紙の中身をのぞき見ることができたわけです。
明治憲法は、こうした「法律に定めたる場合を除く」や「法律の範囲内に於て」など、権利を制限する条項があちこちで見られます。
それは、臣民の権利が「支配者が自分の権力に服する者に対して恩恵的に付与する権利(同辞典)だからです。
つまり国民が生来的に持っているものでも不可侵のものでもなく、天皇によって与えられているものに過ぎないということだったのです。
だから言論の自由や、集会結社の自由、信教の自由も本来の自由ではなく、法律の範囲内の自由でしかありませんでした。
それが日本国憲法によって、考え方が百八十度転換しました。
当時としては画期的なことだったはずです。それを国民が喜ばないわけがありません。
押し付け憲法論〜いいものはいい
よく現在の憲法は「GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって押し付けられたものだ」と言われることがあります。
事実としてGHQは、日本の民主化だけでも「婦人の解放」「労働組合の奨励」「教育の民主化」「圧政的諸制度の撤廃」「経済の民主化」(図3)といった五大改革指令を発出しています。
そしてGHQの最大の指令が憲法改正であり、GHQの民政局に草案を作らせたものだからです。
ただしGHQは当初、日本政府に新憲法草案作成を任せていました(憲法調査委員会)。
昭和二十一年(一九四六年)二月一日、毎日新聞が、松本烝治国務大臣を委員長として秘密裡に検討していた新憲法草案をスクープしました(実際には違うものです)。
その内容は、例えば「第二条 天皇は君主にして此の憲法の条規に依り統治権を行ふ」と、天皇主権である明治憲法に近いものでした。
実は日本が受諾したポツダム宣言には、第十項に「…日本国政府は日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除去すへし言論、宗教及思想の自由並に基本的人権の尊重は確立せらるへし」と書かれていました。
つまり民主主義を復活させ言論や宗教の自由など基本的人権を確立することを求めていました。
検討中であった新憲法が、明治憲法のように天皇に主権を置くことは、ポツダム宣言に反することになります。新聞各紙も否定的でした。
この試案を見たGHQは、日本政府による自主的な憲法作成作業に見切りをつけ、独自の草案作りに乗り出したとされています。
そうした背景があったにせよ、新憲法の原案はGHQが作成したものです。そして議会で憲法の審議を行っている間にGHQは主権在民、普通選挙制度、文民条項などを明文化するよう申し入れをしています。
しかしそれでも日本国憲法は、戦後七十年を経ていまだ一言一句、変更されていません。
この事実を私たちはどう理解したらいいのでしょうか。
日本国民のほとんどが改正したがっているのにGHQによる日本支配がいまだ続いていて、私たちの意思に反して憲法改正を阻止しているということでしょうか?
そうではありません。
「いいものはいい」。ただそれだけの話です。
また「押し付け論」と合わせてハーグ平和会議の陸戦条約の「占領地の基本法は占領に支障のない限り、占領した側が勝手に変えてはいけない」という条項を引用して「日本国憲法は国際法上、無効である」との意見もあります。
私は、これに対しては日本が先のポツダム宣言を受諾した段階で「基本的人権」を尊重する国家を樹立することが国際約束であったと思います。であれば新しい憲法を作らざるを得なかったわけですから「無効」という意見は当たらないと考えます。
すでに人権侵害は始まっている
私は自民党憲法草案を通じて自民党は、国民の権利を制限する明治憲法的内容の復活を企んでいるように思えます。ただし実質的な主権者は権力者である自分たちです。
この草案は、自民党的発想の集大成ですが、実はすでに現在の法律においても、少しずつ個人の権利の制限が始まっています。
最初は特定秘密保護法でした。
平成二十五年(二○一三年)、特定秘密保護法が成立しましたが、この法律はもともと日本が「米国との軍事情報包括保護協定(GSOMIA・「ジーソミア」と発声します)」という協定を結んだことが直接のきっかけで、国内法の整備のための法律です。これは防衛秘密を受け取る側の国が、秘密情報を供与する側と同じ保護をしなさいという協定です(「極秘」情報の提供なら「極秘」の取り扱いをすること)。
しかし特定秘密保護法が指定する特定秘密の範囲は防衛、外交、特定有害活動の防止、テロリズムの防止に関するものまで含まれることになりました。
一見、当たり前のような内容ですが、例えば原子力発電所で漏洩事故があった場合など、テロに利用されないことを名目に情報を公表しないことがあり得えないと言えるでしょうか。
三月三十日、特定秘密保護法に基づく政府による秘密指定の状況をチェックする衆参両院の情報監視審査会(非公開)が報告書を議長に提出しましたが、政府から十分な説明を受けられていない実態が明らかになっています(図4)。
これでは私たちの「知る権利」が奪われてしまいかねません。
そして昨年の安保法制。改めて言うこともなく、その内容は憲法違反と断言できるものです。
さらに現在、国会では刑事訴訟法の改正案が審議されています。
この法案の最大の問題は警察などが盗聴できる対象犯罪を拡大したことと、音声を暗号化して警察に転送できることにするものです。
これまで必要だった通信会社の立会人が不要になり、警察にいながら盗聴できることになります。
しかも窃盗など日常的な犯罪まで対象となることから、犯罪を口実に国民監視手段となり得るのです。
「共謀罪」もいまだ検討されているようです。
これは犯罪の実行や準備よりもさらにその前段階で、複数の人が犯罪を行うことを話し合って合意(共謀)しただけで罪に問えるようにするものです。
すでに強い反対を受け三度廃案になっていますが、安倍総理周辺が、フランスでテロ事件があったことを引き合いに出し、伊勢志摩サミットのテロ対策として、法案提出のアドバルーンを揚げました。
こうした人権侵害に関わる法律は、計画的に提出しているとしか私には思えません
報道の自由度が下がっていく
こうして安倍内閣によって「知る権利」の侵害、プライバシーの漏洩(盗聴)、さらには監視社会(共謀罪)へとつながる道筋が作られています。
今後は政府の姿勢を批判することは許されなくなるかもしれません。高市総務大臣が「偏った放送を行う事業者の免許を取り上げる」という趣旨の発言を行ったからです。
何が問題なのか。これまで偏った放送かどうかは放送局の番組全体を見て判断するとされてきました。
ところが昨年五月、国会で方向転換する趣旨の答弁をしました(図5)。
これは大問題です。こうした判断が出されると、放送事業者は萎縮してしまいます。
そのせいか安倍政権になって放送事業者に、自粛の動きがあるような気がしてなりません。
以前、報道番組でコメンテーターが、安倍政権の圧力で降板になったとコメントされた方がいらっしゃいました。それ以外にもかつては辛口コメンテーターと言われていた方々を最近、テレビでお見かけしなくなりました。
これが放送局側の政権への遠慮・自粛と思うのは考えすぎでしょうか。
そしてどうやらその危険性は日本の外側からは見えているようです。
「国境なき記者団」が毎年発表する「報道の自由度ランキング」の国際比較で、安倍政権になって五十三位、五十九位、六十一位、今年は七十二位までランクを下げています。
四月には国連人権理事会が任命した特別報告者が「日本の報道機関の独立性が深刻な脅威にさらされている」と声明を発表しています。
これまで見ていただいたように、現在の日本国憲法・平和憲法を踏みにじる動きを少しずつ進めています。ヒトラーが戦前、ドイツの首相の座について数ヶ月で状況は一変しました。
今、日本で同じようなことが起ころうとしている気がして仕方ありません。
当たり前にあるようでいて、実は自由や人権は、非常に儚いものだということです。
だからこそ私は、現行憲法の個人の自由や平和、そして幸福追求権といった基本的人権が尊いものだと感じるのです。
そして平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、どの国の民にも銃口を向けてこなかった日本。それこそ憲法第九条がノーベル平和賞の候補となった理由なのです。私はこの崇高な理念を持つ平和憲法を断固として守り抜いていく決意であります。
更新日2021年12月8日
安保法制は廃止します
憲法9条で武力を放棄しているのに、なぜ自衛隊が存在するの?
日本は日本国憲法第九条で、武力を放棄し、交戦権を認めないことを明記しました。
同時に第十三条で、国民は生命や自由について最大限尊重されることになっています。
つまり、国民の生命が脅かされる事態になった時、政府はこれを守らなければならず、そのため国民の生命を守るために必要最低限の自衛措置が、自衛隊なのです。
同時に第十三条で、国民は生命や自由について最大限尊重されることになっています。
つまり、国民の生命が脅かされる事態になった時、政府はこれを守らなければならず、そのため国民の生命を守るために必要最低限の自衛措置が、自衛隊なのです。
ここで解釈の余地が生まれました。
「どこまでが自衛なの?」と。
昭和二十九年、内閣法制局長官が内閣委員会で「三つの原則を厳格なる自衛権の行使の条件と考えておる」と答弁して以来、政府は一貫した考えに立っていますが、昭和六十年九月に質問主意書に対する答弁書として、三要件を明確に位置づけました。
集団的自衛権行使は憲法違反
ところが安倍総理は平成二十六年七月一日に、日本の安全保障に関する、これまでの長年の議論の積み重ねと国民の間に概ね出来上がっていた合意を覆す集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を行いました。
集団的自衛権とは「日本が攻撃されていないにもかかわらず、わが国と密接な関係にある他の国からの要請で自衛隊が海外で武力行使をする」権利のことです。日本が攻撃されていないのに武力行使をすることは、どう考えても憲法の考えに反します。
だから多くの憲法学者が「安保法制は憲法違反である」と主張しているのです。
安倍総理が自衛隊を「自衛」以上に、武力行使させる組織にしたいのであれば憲法改正するしかないのです。
平成27年6月4日、衆議院憲法審査会で行なわれた参考人質疑で、
与党推薦の長谷部教授まで「平和安全法制」は違憲と答えました。
核兵器だって運べる法律
平成二十七年八月五日の安保特別委員会での私の質問で、防衛大臣から驚くべき答弁が飛び出しました。
法文上、「核兵器の運搬は可能」だというのです。
日本は戦争で核兵器の被害を受けた唯一の被爆国です。その痛みを知っていながら、どうして核兵器まで運べる法律にしてしまったのでしょうか。
実は、今般の安保法制によって、日本は米軍等に武器は運搬だけですが、弾薬は運搬と提供も可能になります。
特に問題なのは、提供できる弾薬にミサイルも含まれていることです。劣化ウラン弾だって、その気になれば提供や運搬ができるのです。
核兵器運搬を含め、政府は「想定していない」と言いますが、憲法さえ平気で踏みにじる政権です。どうして言うことを信用できるでしょうか。
二転三転した答弁内容
平成二十七年八月五日の安保特別委員会での私の質問で、防衛大臣から驚くべき答弁が飛び出しました。
法文上、「核兵器の運搬は可能」だというのです。
日本は戦争で核兵器の被害を受けた唯一の被爆国です。その痛みを知っていながら、どうして核兵器まで運べる法律にしてしまったのでしょうか。
実は、今般の安保法制によって、日本は米軍等に武器は運搬だけですが、弾薬は運搬と提供も可能になります。
特に問題なのは、提供できる弾薬にミサイルも含まれていることです。劣化ウラン弾だって、その気になれば提供や運搬ができるのです。
核兵器運搬を含め、政府は「想定していない」と言いますが、憲法さえ平気で踏みにじる政権です。どうして言うことを信用できるでしょうか。
増大する自衛隊員のリスク
PKO(国際平和協力)法も改正になり、今まで道路の整備等だった任務に、住民の保護や監視・巡回・検問と、他国のPKO関係者からの要請で、その者の生命等を守る「駆け付け警護」が加わりました。
その時、任務遂行に必要な武器使用が認められることになりました。
「住民保護」とは巡回警護など保護が必要な危険があるということです。「駆け付け警護」はすでに危険にさらされている状況が、そこにあるということです。
その状況で自衛隊が他国民に銃を向ける任務は、同時に銃を向ける先からは敵視される覚悟もしなければなりません。
国際平和支援法は、これまで必要に応じて立法してきた多国籍軍への支援活動を恒久化するものです。
問題は活動地域がこれまで「非戦闘地域」であったのに、「現に戦闘が行われている現場では実施しない」に変ったことです。
戦闘が再開された場合、「退避」や「一時避難」で済むでしょうか。
邦人輸送中の米輸送艦の防護のウソ
集団的自衛権の行使容認を閣議決定した後の記者会見で安倍総理は「海外で突然紛争が発生し、米国が日本人を救助している時、自衛隊が米国の船を守る」と、パネルまで用意して発言されました。
しかしアメリカ国務省のホームページには「民間人をアメリカの軍艦に乗せるようなミッションはない」と書かれていますし、日米ガイドラインも第一義的には自国の責任とされています。
万一、朝鮮半島有事が発生しそうな場合でも危機的事態に陥る前に、政府は安全な退避のための対処を行うことになっているのです。
仮に日本近海で、安倍総理の言う通り自衛隊がアメリカ艦を防護している時に攻撃を受けたとしたら、近距離でアメリカ艦だけが狙われると考えるのは不自然です。
正当防衛あるいは個別的自衛権の範囲で対処すべきと、私は考えます。
集団的自衛権整備をなぜ急ぐのか
安倍総理が急いで集団的自衛権を整備しようとする理由について、アメリカからの強い要求があるのではないかと私は考えています。
アメリカは連邦政府予算の債務上限問題で、二〇一二年から財政赤字の削減が義務化され、安全保障支出も十年で約五千億ドル(約六十兆円)削減されることになっています。
そこで同年「国防戦略の指針」で戦略転換を行いました。
従来の「同時に生起する二つの大規模戦争への対処」から「一つの地域での大規模戦争への対処と一つの地域での敵の意思と能力の粉砕」(ワンプラス)へ移行したのです。
そのため世界的に負担分担ではなく、「負担委譲」が行われているのです。
しかしアジアでは中国が経済成長とともに軍備の増強と近代化を着々と進めています。
アメリカと共に戦うための集団的自衛権の整備が必要なのだと推測しています。
軍備だけが防衛の全てではない
中国の軍事的台頭を警戒するアメリカですが、経済のグローバル化によって、相互の依存関係は深まるばかりです。
中国にとっても、アメリカとの衝突は中国経済の打撃に直結するため、非常事態に陥らないよう、常に両国は対話を行なっています。
アメリカは同盟国である日本にも中国との対話を促してきました。
だから安倍総理が、靖国神社を参拝した時、わざわざ「失望した」とコメントしたのです。
軍事大国のアメリカでさえ「軍事と対話」の両にらみをしています。
平和や安全は、軍事力だけで維持されているわけではないのです。
日本は、日米同盟を軸に、自らの国は、自らで守るという強い意志を持つとともに、隣国である韓国や中国、そしてロシア等と対話を通じた信頼の醸成を深めていくことこそ、重要だと考えています。
参院選勝利が自衛隊の武力行使の海外派遣阻止につながる
集団的自衛権行使をはじめとした、安保法制の実行を止めることはできないでしょうか。
まず廃止を求めていきたいのです。
そのために党内の合意を得て、廃止法案の提出を目指します。しかし自公政権が衆参の議席の多数を占めている以上、成立は現実的ではありません。
実は今般の法律で拡大された自衛隊の活動は、集団的自衛権の行使(存立危機事態)をはじめ、事前の国会承認を求めるものが多数あります(以下)。
国会承認とは、衆・参両院それぞれの本会議の過半数により承認されることが必要です。
平成二十八年は参議院選挙の年です。
この法律に反対する野党が過半数を占めることができれば、国会承認を阻むことができるのです。
更新日2021年12月8日
日韓友好を推進します
憂うべき最近の日韓関係においては、お互いがもっと理解し合う努力が必要です。ヘイト・スピーチも理解不足に端を発しているのです。
私は、日韓議員連盟社会・文化委員長として、両国の対話に努めつつ、人種差別撤廃基本法の提出に尽力しました。
私は、日韓議員連盟社会・文化委員長として、両国の対話に努めつつ、人種差別撤廃基本法の提出に尽力しました。
更新日2021年12月8日
拉致問題の早期解決を図ります
拉致はなぜ行われたか
太平洋戦争終結前後、朝鮮半島を北緯38度でアメリカとソ連が占領地域を分割することで合意しました。実際にソ連が朝鮮半島北側に進駐して来ると、共産主義から逃れるため北側から南の韓国側に大量の人材が流出しました。
そういう状況の中、昭和21年(1946年)、ソ連に後押しされていた金日成主席は「共和国発展のためには必要な知識人や技術者が十分ではない。そうした人材を連れて来なければならない」と指令したことで拉致が始まりました。
その後、昭和25年(1950年)に勃発した朝鮮戦争で北朝鮮は拉致を計画し、韓国から約8万3千人弱の人々を連れて行きました。
朝鮮戦争後も、国境警備の難しい海上において韓国の漁師が約4千人も拉致されています。
昭和38年(1963年)には能登沖で漁を行っていた寺越武志さん(当時中学生)ら3名が行方不明になったのも、その関係だったと考えられています(24年後に北朝鮮で生存確認)。
日本での帰還事業
さらに北朝鮮は、朝鮮戦争によって疲弊した国家再建のため、在日朝鮮人の帰還事業を開始します。
その目的は労働力補給もさることながら、原材料、資金・技術等を獲得する経済的目的と、日本と国交を結び、日本と米韓を引き離すことで北朝鮮孤立化政策に対抗しようという政治目的がありました。そのために北朝鮮が「地上の楽園」であることを内外に宣伝したのです。
昭和34年(1959年)12月から、昭和59年(1984年)7月まで日本から9万3千名強が帰還船に乗り込みました。
そのうち、在日朝鮮人が出国する際に内地出身の日本国籍を有する子や親族として随伴した日本人は6,679名であり、そのうちいわゆる日本人妻は1,831名であると推定されています。
このうち何名がご存命なのか確認できない状況であり、さらに未だ自由往来が果たせない状況に置かれたままなのです。
当時、帰還事業の窓口になった日本赤十字社は、私の国会での質問に対し、出国にあたり一人ひとり意思確認を行っていたこと、特に日本国籍を有する方には、日本政府の許可がなければ帰国できないことを説明したと答えています。
しかし、びっしり文字が書かれた「帰還案内」という文書を全員に渡したことは確かですが、どれだけの人がこの内容を理解したのかは不明確です。
問題は、日本人である以上、日本政府には国民を保護する義務があり、生存確認や帰国・往来の自由に努力すべきだということです。
しかし赤十字も政府も動こうとしません。
拉致を含め北朝鮮に残された全ての日本人の問題について過去のものにさせない、風化させない。これは私の責務であると考えています。
日本で発生した拉致・連行
昭和50年代、もしくはそれ以前から、日本国内でも北朝鮮の工作員による日本人拉致が行われるようになります。
これまで政府は横田めぐみさんをはじめ17名の拉致被害者を認定しました。
驚くべきことは、騙されて北朝鮮へ連れて行かれたケースもありますが、その多くが日本国内で強制的に拉致されたケースだという事実です。
普段、何気なく暮らしている日常から、突然、暴力的に他の国へ連れて行かれる事態を当時、誰が想像したでしょうか。
朝鮮半島の隣に位置し、北朝鮮による工作活動のターゲットたる日本の拉致被害者が17名だけだとはとても思えません。
事実、警察は北朝鮮による拉致の可能性を排除できない行方不明者を約810名としており、民間団体である特定失踪者問題調査会も「拉致の疑いがある」人物・約470名をリストアップしています。
日朝首脳会談
平成14年(2002年)9月、当時の小泉総理が電撃的に北朝鮮を訪問し、首脳同士の会談で金正日総書記が初めて拉致問題を認め謝罪しました。それでは日本人の拉致はなぜ行われたのでしょうか。
その理由を政府(拉致対策本部)は、真相は不明としながら「日本人を装って韓国にスパイを送り込むため(という説がある)」としています。
これは、この首脳会談の場でも「対南工作のため」と金正日総書記自身が認めている事実なのです。
この会談により日本国内でも広く拉致問題が知られるようになりました。
私自身がテレビ等のメディアで、拉致をはじめとした北朝鮮問題について話をすることになり、その後、参議院選挙に出るきっかけになりました。
ですから私は日韓関係について取り組むことは当然ですが、北朝鮮問題に取り組むこともまた、私に与えられた使命であると考えています。
しかし外交は、国会議員一人で出来るものではありません。ましてや北朝鮮は親中国と親ロシアを天秤にかけ、核開発問題ではアメリカとの合意さえ簡単に反故にする国です。
拉致問題についても、これを進展させるのは難しいことではあります。
それにしても日朝首脳会談に至るまでの政府の対応は遅いと思うのです。
小泉総理になって初めて日朝首脳会談で拉致問題を突き付けたということは、すでに拉致が北朝鮮による犯行であることを確信していたからではないでしょうか。
日本で強制的な拉致・連行が報じられたのは昭和50年代。政府内で「これは拉致である」という結論を得てから小泉訪朝までの間、政府はどういう活動をしていたのでしょうか。
北朝鮮とは国交がないとしても、今まで拉致と認定したご家族に対するケア・支援はされていたのでしょうか。国際世論への働きかけはされていたのでしょうか。
少なくとも拉致事件の被害者は日本人です。国家犯罪の被害者たる自国民に対して、その救出に全力を傾注していたとはとても思えません。
もっと国際世論の喚起を
横田早紀江さんが平成18年(2006年)4月、当時のブッシュ米大統領に面会した際に、大統領は「私が大統領としての仕事に就任して以来もっとも衝撃的な会見の一つでした」と感想を述べておられます。
平成24年(2012年)11月、私も内閣府副大臣(拉致問題担当)としてジュネーブの国連の人権に関する委員会で、この問題を訴えた時に、国連の担当者は非常に驚いておられました。
なんと拉致が世界的に知られていないのです。
ジュネーブでの会談の結果、その後に出された北朝鮮の人権に関する報告書で「人道に対する罪」に相当することを国連人権理事会も認めています。このことに危機感を抱いた北朝鮮が日本側に歩み寄り平成26年(2014年)のストックホルム合意に結びつき「特別調査委員会」なるものを発足させ、再調査の約束をさせるに至りました。
残念ながら、この合意文は不十分なものであり、平成27年(2015年)11月末現在、何の進展もみられていません。
日本・韓国以外にも拉致の被害は拡がりルーマニアやタイなど20名を超える外国人拉致が判明しています。そうした国同士の国会議員が連携する運動も数年前から始まり、私も積極的に参加しております。
最後に、拉致問題を解決させるためには外交交渉しかないかもしれませんが、拉致はあくまで犯罪行為である以上、一般の「外交交渉」とは違い、被害者を返せと強く「要求」すべきものであります。
仮に二国間でうまくいかないのであれば国連のような国際機関をはじめとする国際社会に広く訴え、拉致問題を人権問題としてあぶりだして行く必要があります。
特に拉致被害が最も多い韓国との連携において、私は韓国側議員にもその出自から知り合いが多く、韓国語が話せる唯一の国会議員として、共に連携を取りながら積極的にこの問題に対応しております。
私はこれからもその活動を積み重ねていく所存であります。
更新日2021年12月8日
経済格差是正に努めます
下がり続けるサラリーマンの所得
サラリーマンの方で「最近、給料が上がらないなぁ」とか「いや、以前に比べて下がっているよ」と感じる方は多いのではないでしょうか。なぜそんなことになってしまったのでしょうか。
「日本はバブルが弾けて、ずっと不景気が続いているから仕方ないよ」とお考えかもしれません。
「日本はバブルが弾けて、ずっと不景気が続いているから仕方ないよ」とお考えかもしれません。
ところが下図(図1)をご覧いただけばお分かりのように、バブルが崩壊した平成二年(一九九◯年)以降も、平成九年(一九九七年)までサラリーマンの給料は上がっていました。給料が下がり始めたのは平成九年からなのです。
実際には平成九年以後も、インターネットが普及し始めIT関連産業が成長し、その後も携帯電話の普及等が経済成長を後押ししていました。
さらに平成十四年(二〇〇二年)二月から平成二十一年(二〇〇九年)三月まで、「いざなみ景気」という戦後最大の経済拡大期間があったのをご存知でしょうか。
バブル崩壊から日本は、デフレによる冬の時代が続いているように感じますが、企業(特に大企業)から見ると、平成二十年のリーマン・ショックまでは決して悪い状況ばかりではありませんでした。
しかし多くのサラリーマンの間で、給料が下がり始めた頃から「リストラ」と呼ばれる人員整理解雇が行われ、それが一段落しても給料は減り続けているのです。
サラリーマン中間層の減少
しかも問題は日本のサラリーマンの中間層が減少していることです。
下図(図2)は、一番給料の高かった平成九年と直近の調査である平成二十六年の所得別の人数調査を比較したものです。年収二千万円以上の富裕層が増え、逆にピンクの輪で囲った部分、いわゆる「中間層」と呼ばれる年収四百万円台以上の層が軒並み減少しています。
つまり真面目に働く普通のサラリーマンでも給料が上がらない、あるいは下がるということが起こったのです。
非正規に置き換わる「働く人々」
さらにこの調査からもう一つのことが浮かび上がっています。
それは年収二百万円台以下の層が激増していることです。これは、下図(図3)をみていただければ分かるように非正規社員の増加を意味しています。
働く人の数は今も増えているのに、正社員の数は給料がピークであった平成九年を境に減少に転じました。それだけ非正規社員に置き換えられているということです。
かつて非正規といえば、奥さんが生活費の一助のためにパート・タイマーやアルバイトとして働いたり(家計補助型)、多様な働き方を希望する女性が派遣社員となるイメージだったと思います。
ところが、現在は必ずしもそれだけではありません。
「正規の職員・従業員の仕事がないから」という理由で、非正規社員に甘んじている男性(生計維持型)が増えています。また女性の中でも男女雇用均等法とともに「一般職」と言われていた正社員は減少し、派遣社員をはじめとした非正規社員に置き換えられているのです。
不利な労働条件の非正規雇用
非正規社員の最大の問題は、給料が正社員と較べて低いことです。
一家の働き手の中心人物が非正規社員だと、暮らしそのものが困窮状態に置かれてしまいます。実際に昨年公表された貧困率調査では日本人の十六・一%、およそ六人に一人が貧困状態に陥っていました(図4)。
さらに非正規社員は、正社員に義務付けられている雇用保険、健康保険、厚生年金などの法定福利制度や、企業が独自に実施している退職金制度や賞与支給なども対象外です。
また非正規社員は不況になると「契約終了」という名のもとにクビを切られる「雇用調整」に使われる恐れまであります。
これでは将来の生活の安定を望むことはできません。
そうした不安に悩む人がいる一方で、年収二千万円どころか、一億円以上の報酬を受け取る役員の数が年々増加している(図5)、経済的格差が拡大しているのが日本の現状なのです。
残念ながら「働く人の給料を上げろ!」という経営に介入する法律を作ることは出来ません。しかしブラック企業と呼ばれる、働く人を不当に働き詰めにしたり、過労死を起こさせない法律は作ることが出来ます。
それ以前に働きすぎ・過労死が起こるような状況を監視し、追求することが政治の役割です。
正社員だって安心出来ない
現在の政権は、経営者側の意向のみに沿った、さらに貧困や低所得者を増やしかねない雇用・労働政策を推進しています。
その一つが平成二十七年(二〇一五年)に成立した「改正労働者派遣法」(図6)です。
派遣法が成立した昭和六十年(一九八五年)当時は、派遣労働が「正社員の置き換えにつながる恐れ」があるため、その可能性の少ない専門的知識、技術、経験を必要とする業務(ソフトウェア開発、通訳、秘書など)や、特別の雇用管理を行う業務(駐車場管理など)といった、十三種類の業務に限定されていました。
しかし一旦法律ができてしまうと、経営者側のメリットを優先する形で少しずつ派遣条件を緩和する法改正が行われ(図7)、そして今般の改正で、とうとう実質的に「正社員の置き換え」を可能とする法律の改正が行われてしまったのです。
これまで一つの業務で最長三年を超えて派遣社員を雇用することは出来ませんでした。
それが労働組合などと協議さえすれば、組合が反対しても「派遣スタッフを変えれば、同じ業務で派遣社員を雇用し続けることが出来る」ことにしたのです。
「三年」といえばちょっとした規模の企業なら正社員だって人事異動が行われます。その感覚で派遣社員を使いつづけることが出来るのであれば、特別な仕事を除けば正社員が必要なくなることを意味します。歯止めであった「正社員の置き換え」につながってしまう恐れが非常に大きいのです。
正社員並みの賃金確保の必要性
安倍総理は今年に入って非正規と正規の「同一労働同一賃金」ということを主張し始めました。「同一労働同一賃金」とは「同じ仕事ならば、正社員であろうが非正規社員であろうが同じ賃金を支払うべきである」という意味です。
民進党は昨年の派遣法改正審議の時に、先駆けて同一労働同一賃金を推進する議員立法を提出しました。しかし自民・公明党などがそこに「均衡待遇」という、理由があれば(賃金の)差があってもいいという意味の言葉に置き換え、内容を骨抜きにしてしまいました。
大企業に優しい安倍総理の口からこの言葉が出てくると、俄然違った意味が見えてきます。例えば正社員の賃金が、非正規の方に寄ってしまうことになりかねません(図8)。
「同一労働同一賃金」は、正規と非正規の格差解消には有効な手段ですが、それが悪用されないよう監視し、必要とあらば正社員並の賃金を義務付ける議員立法を提出し、対抗してまいります。
働き過ぎを防ぐために努力します
もう一つ、昨年の国会から継続して審議している労働基準法も、働く人の負担を増やしかねない二つの問題点を含んでいます。
それは「裁量労働制の適用拡大」と「高度プロフェッショナル制度(ホワイトカラー・エグゼンプション)の導入」です。
裁量労働制や高度プロフェッショナル制度(ホワイトカラー・エグゼンプション)とは、いくら残業しても、事前に「これだけ払う」と決めた残業代しか払わない(裁量労働制)とか、残業代そのものがない・休日出勤手当もなくす(高度プロフェッショナル)制度です。
こうした法案が成立すると、経営側の働かせ放題になるのは分かりきっています(図9)。
大企業には法人税減税や規制緩和などの優遇策を講じ、働く人には低所得化、労働強化、雇用の不安定化をもたらす制度(図9)を強力に推し進めているのが、今の政権だということを、私たちは肝に銘じておくべきです。
経済格差がもたらす弊害
これまで見てきたように、今、日本は働く人々が以前に較べて低所得や貧困の状態になり、ますます厳しい労働状況に置かれようとしています。
私が特に憂うのは、この状況が子供の教育など様々な面で影響を与え、貧困の連鎖に繋がりかねないということです。
事実、(図10、11)をご覧頂けば、親の収入と子供の学力に相関関係があるのは明らかです。
東京大学が実施した調査(図10)では、親(家計支持者)の年収が平均所得並みの四百五十万円未満は一割強しかおらず、八割以上の親の収入は平均年収以上であることが公表されました。
さらに文部科学省が、お茶の水女子大学に委託した調査(図11)では世帯収入と正答率は見事に比例しています(ただし親の世帯収入が低いからといって全ての子供の学力が低いわけではないことも、調査の中で明らかになっています)。
これらのことは低所得や貧困状態にある家庭の子供は、学校以外の塾のような有料教育サービスを利用するのが難しいからに他なりません。
菲才・無才は従順に働けばいい?
平成十二年(二〇〇〇年)に発行された斎藤貴男氏の著作「機会不平等(株式会社文藝春秋)」には教育課程審議会で会長職を務めた人物が「ゆとり教育」導入の驚くべき経緯についてインタビューで語っています(図12)。
日本はこれまで国民一様の教育水準(しかも高いレベル)が、勤勉な国民性と相まって産業技術を支え、経済発展に寄与してきたのではないでしょうか。
財界と結託した自民党政権が、経済格差に起因する教育格差を放置するどころか、「エリートとそれ以外」という教育の二極化を図っているとしたら、許し難いことです。
マイナス金利とは何か
「アベノミクスで経済が良くなれば状況は変わるのではないか」とお考えの方がおられるかもしれません。
私自身は、日本銀行の黒田総裁が始めた新たな金融政策が、一時的にでも株高や円安に向かわせたことで経済の雰囲気を変えたことは評価します。しかし、公共事業のバラマキやマイナス金利政策などは全く評価出来ません。
その理由を見ていくために、まず黒田総裁が始めた新たな金融政策について簡単にご説明いたします。
黒田総裁はその政策実施にあたり「消費者物価指数二%上昇を目標とする」と発言しました。これは「インフレ期待」に働きかけることです。
例えば銀行の貸し出し金利が一%の時、二%のインフレ状態になれば、借り手の金利負担が減ることになります(図13)。そうなるとお金を預けておくよりも、投資などにお金を使った方が得、それで経済が動き出す、という効果を期待しているのです。
そのために日銀はお金(円)を大量に市場に出回るようにしました。これが異次元緩和と呼ばれるものです。
具体的には黒田総裁は市場に出回るお金の量を倍以上に増やしました(図14)。
日本全体のモノの価値が変わっているわけではありませんからお金の価値が下がるはずです。
ところが出回っているはずの資金のうち約二百十兆円(昨年一年間の平均残高)は日銀の持つ口座に預けられたままでした。
そこで日銀は二月以降、新たな供給資金が口座に残っている部分(図15)に、銀行側から金利をとることにしたのです(マイナス金利)。
しかし、おそらくこの政策も日銀の思惑通りにはいかないものと思われます。
なぜなら、この国で「消費が増える」という確信が持てない限り、企業は大胆な設備投資など行うはずがありません。
一方で安倍総理が総理になってまず行ったのは生活保護のカットでした。それ以外にも私たちの生活に身近な年金や医療・介護に対する費用負担増。さらに派遣法など働く人々にとって厳しい労働政策…。
これでは誰一人将来に希望が持てるはずがありません。この状況を変えない限り絶対に状況は好転することはないのです。
「経済的徴兵」の足音と格差緩和の努力
さらにもう一点、特に安倍政権になって、このことのために、あえて経済格差を助長しているのではないかと感じることがあります。それは経済的徴兵です。
「そんなバカな」と思われるかもしれませんが、アメリカやドイツではすでに経済的徴兵が現実のものとなっています。
アメリカは、大学を出ないと低賃金の仕事しかない可能性がある上、学費を自分で払うのが当たり前のため、多くの人が学資ローンを組んで大学に入ろうとします。
その学費を「入隊を条件に」国防総省が負担したり、学資ローンそのものが返済できなくなった人の返済を支援する制度を設けています。
さらには永住権取得者に入隊と引き換えに市民権の付与や、不法移民に対しても市民権取得のチャンスを与えるなど、経済的・社会的弱者が戦場に行くように仕向けられています(図16)。
そして帰還後も約二割の人が戦闘体験の精神的な苦しみを味わい続けているのです。
私は今後、日本でも同じことが起こり得ると考えています。
あまり知られていませんが、日本がイラク派遣を行った平成十六年(二◯◯四年)から平成二十一年(二◯◯九年)の五年間で自衛隊の依願退職者数は激増しました。さらに安保法制の審議が行われた平成二十七年(二◯一五年)の自衛隊志願者数は二割減少しています。
今後、自衛隊員が自らの国を守るためではなく、集団的自衛権のために他国に赴いて武力を行使したり、PKO業務で他国の人に銃を向けることになったら、自衛隊の退職者が激増するかもしれません。
経済的弱者に目が向けられるのはその時です。
今でも自衛隊が新人を募集する時の謳い文句は「収入の安定と資格の取得」ですし、大学進学に際し、奨学金受給者は着実に増加しています。若者を取り巻く経済状況は厳しく、アメリカと似通ってきているのです(図17)。
拡大し続ける格差をこのまま放置することは貧富の二極化による社会層の固定化につながりかねません。それは若者が将来に希望が見出せない社会であり、経済成長も見込めず治安の悪化も懸念される不安定な社会です。
私は格差拡大につながる改正派遣法の撤回や高度プロフェッショナル制度等の導入阻止、さらには経済的徴兵と関連する提案には絶対反対してまいります。
更新日2021年12月8日
企業献金はいただきません
企業が政治家に献金をするのは、結局見返りを求めるからではないでしょうか。それは、政策をゆがめる可能性が出てくることに他なりません。
私は企業献金は1円ももらっていません。またパーティも一度も開催したことはございません。
私は企業献金は1円ももらっていません。またパーティも一度も開催したことはございません。
更新日2021年12月8日
データは運営がホームページ等から収集しています。もし間違いなどがあればお問い合わせからお願いします。