ほんだ ひらなお
本多 平直 (60)

無所属 衆議院議員

当選回数3

最終学歴
北海道大学法学部卒業
肩書き
元衆議院議員

学歴

1988年3月 北海道大学法学部卒業
主に政治学を勉強。論文は、フランス社会党・ミッテラン政権の誕生についてでした。「日本でも政権交代を」との思いを強くしました。 学習塾の学生講師のアルバイトにものめり込み、他の先生との競争心もあり教え方の研究に燃えました。英語を学ぶため、アメリカの語学学校に留学、世界中から来た若者と友だちになった貴重な体験でした。uhb少年の船のテーマソング「白い船で」を作詞したのもこの頃です。 二つの体験が政治の道を意識させ始めました。新聞社のアンケート調査のアルバイトで道北のある小さな町に行きました。支持政党や政策への賛否などを戸別に回ってお聞きするのですが、大学で学ぶ「机上の政治」とは違う生活に根差した政治の姿を垣間見ることができ、政治の大切さを実感しました。 また、辻元清美氏などが主宰していた「ピースボート」に参加、フィリピン、ベトナムを多くの若者と船で回りました。その途上、私たちの船がベトナムから命からがら逃れてきた難民「ボートピープル」の漂流船を救助することになりました。政治のあり方が生命にまで影響すること痛感した出来事でした。
1988年4月 松下政経塾入塾
関心はあったものの、政治への道は思いもつきませんでしたが、大学に貼られていた松下政経塾の募集ポスターに目が留まりました。いろいろ調べるうちに、ぜひ入塾したいとの思いに。保守色、タカ派色の強い方ばかりではとの心配はあったものの、面接でリベラル色、ハト派色を前面に出した私を合格させていただいたことで、その疑念は払拭されました。一期先輩の前原さんなどと安全保障政策でしばしば激論したこともよい思い出です。 多くの現場を知るために、佐賀県有田のタイル工場実習、全国各地の市民運動の聞き取り調査、バングラデッシュの電気のない村など途上国での日本の援助に関する調査、ベルギー・ブリュッセルでの欧州統合の調査など「現地現場」での研修を積み重ねました。 政治の現場を知る研修で知り合ったのが、若かりしまだ無名の菅直人衆議院議員でした。

職歴

1994年5月 新党さきがけ政策調査会スタッフ
菅議員の紹介で新党さきがけの政策調査会スタッフに。直後に自社さ連立政権が成立、自民党、社会党のベテランスタッフと対等に張り合う立場になりました。若輩ながら小さな党の主張を少しでも通すために必死でした。
1994年9月 衆議院議員枝野幸男政策担当秘書
薬害エイズ問題はじめ医療・福祉、行政改革などを中心に数多くのテーマに取り組む。 国会議員政策担当秘書の資格を取得、新党さきがけの新人議員であった枝野幸男氏の政策担当秘書となりました。以降10年、主として国会で枝野議員の政策活動をサポート、特に菅、枝野両議員が名前を知られることになった薬害エイズ問題の追及では、厚生省内の資料発見につながった「質問主意書」の作成など裏方でサポートしました。菅厚生大臣の被害者の皆さんへの謝罪の現場にも同席、政治の力で大きな壁を動かすことができることを実感しました。党綱領の「生活者、納税者、消費者の立場に立つ」との文言の原案も作成しました。

政歴

2004年4月 衆議院議員(繰り上げ当選)
■衆議院:安全保障委員会委員/イラク支援特別委員会委員 ■民主党:情報公開法PT事務局長/薬害肝炎WT事務局長 一期目は、安全保障委員会、イラク支援特別委員会などに所属。自衛隊の安易な海外派遣を許さない姿勢は当時から一貫しています。今後も「現実的な議論ができるハト派」を目指します。秘書時代から取り組んできた薬害や情報公開の問題にも取り組みました。
2009年8月 第45回衆議院選挙において、 138,727票(得票率57.2%)を得て2期目の当選
■衆議院:消費者問題に関する特別委員会筆頭理事/経済産業委員会委員 ■民主党:副幹事長/国会対策副委員長/選挙対策副委員長/消費者問題PT座長/抗がん剤総合対策WT事務局長/行政刷新PT事務局次長/埼玉県総支部連合会幹事長 ■政府:内閣総理大臣補佐官/経済産業大臣政務官 四年の浪人を経た二期目は、政権与党の中での活動となりました。 特別会計の「仕分け人」、本番の議論自体は短時間ですが、準備に膨大な時間をかけました。ムダに切り込む一方、国有林野特別会計の一般会計化など必要な事業の存続が可能なスキームを構築することもできました。 副幹事長時代、東日本大震災が発生しました。徹夜で対策本部に詰め、被災地の声を政府各部署に伝えました。混乱も多く、すべてに完璧な対応はできませんでしたが、今でも被災地の方から感謝のお便りをいただきます。 野田政権では、内閣総理大臣補佐官に就任しました。担当は内政の省庁間調整。震災復興、原子力被害の賠償、再生エネルギーの推進、自殺対策、硫黄島の遺骨収集など複数の省庁にかかわるテーマを担当しました。大きなテーマでは、党内に様々な意見のあった「原発ゼロ」政策の決定に尽力しました。総理の被災地視察やサミット出席などにも同行、政治家として貴重な場となりました。若手議員の様々な声を聴いて、官邸にその空気を伝える役割も担いました。 内閣改造後は、枝野経済産業大臣の政務官に就任、枝野大臣の進める原発ゼロへの道筋をサポートしました。再生可能エネルギーの推進はもちろん、中小企業政策など新しい分野にも取り組みました。 民主党政権は、高校無償化で退学者を大きく減らし、医療予算の確保で救急車のたらい回しをなくし、三万人を越えていた自殺者もようやく減り始めるなどニュースになりにくい実績は積み重ねました。しかし、守れなかった公約も多く、党内も混乱を繰り返し、国民の皆さんの期待に十分に応えることができませんでした。責任を痛感し、お詫びしたいと思います。官僚との関係ひとつとっても、「官僚と対決ばかりしていた」「官僚にとりこまれた」など両面の反省があります。これらの経験や反省をもう一度政権を担わせて頂く際にしっかりと活かしたいと思います。
2010年9月 民主党副幹事長
2011年9月 首相補佐官
2012年10月 経済産業大臣政務官兼内閣府政務官
2017年10月 第48回総選挙 比例区にて3期目の当選
2021年7月 立憲民主党を離党、衆議院議員を議員辞職

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原発の再稼働
消費税の増税
環太平洋パートナーシップ(TPP)協定への参加
カジノを含む統合型リゾート(IR)
北方領土の返還
靖国神社参拝
女性宮家の創設
選択的夫婦別姓制度の導入
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憲法改正
死刑制度の廃止

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